株式会社ファルマクリエ神戸

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column ムラサキの由来

ムラサキ属Lithospermumとは、ギリシャ語リスト「石」+スペルマ「種」で、ムラサキの岩のように硬い種子を指します。
種小名erythrorhizonは、ギリシャ語エリトロス「赤い」+リザ「根」で、ムラサキの赤紫色の根のことを意味しています。
紫根の基原植物ムラサキ(紫)は、その名の通り根が紫色。というより、紫という草が先であって、紫草のような色ということで、「紫色」という言葉が後からできました。紫の植物名自体は、「群れ咲き」が訛ったものとする説もあります。

紫と冠位十二階
ムラサキは栽培困難なため貴重で、古来より高貴な色とされてきました。聖徳太子の冠位十二階も、最上位の大徳・小徳の冠が紫とされていて、西洋でも紫は王侯貴族が用いていました。
紫は夏の季語として短歌の中では頻繁に登場しています。

あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る(額田王 巻1-20)
紫草のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやす(大海人皇子 巻1-21)

これは万葉集にある、額田王と大海人皇子の間の紫草をモチーフとした歌です。薬狩りとは、男は鹿の新しい角「袋角」を取り、女は薬草を摘むという、貴族の行楽的要素を持った日。後の菖蒲の節句の起源となります。

この句の「標野」という表現からは、天智天皇の領域である近江の浦生野では、生薬・染料を得るために紫草が栽培され、しかも標識で囲われて護られていたことが示唆されます。

column 病鉢巻とムラサキ

助六

助六

病鉢巻とは、紫色の縮緬の鉢巻を額を左に結び目を作ってしめたものをいいます。歌舞伎では、身体の病気だけでなく、気の病を含んだ病人の象徴とされます。

有名なところでは、
俊徳丸:摂州合邦辻
松王丸:菅原伝授手習鑑
保名 :芦屋堂満大内鑑
夕霧 :廓文章
があります。

歌舞伎では演劇上の効果を狙った場合が多いわけですが、この紫色の鉢巻は、ムラサキの根(紫根)で染められています。古来、紫色が高貴な色で悪いものを寄せ付けない色とされて、また、紫根に抗炎症・解熱作用のほか、解毒効果といった薬効があったことから病気平癒を願ってしめられたと考えられます。

ちなみに、ムラサキで染めたものにの一つに江戸紫があります。江戸紫の鉢巻といえば助六ですが、助六がまく紫の鉢巻は、病鉢巻ではありません。顔の右に結び目がある助六の鉢巻は、放蕩無類、異端の傾き者の粋を表現したものと言われています。

column ムラサキにまつわる不思議な縁(小野一族と紫式部)

ムラサキを初めて日本に持ち込んだのが小野妹子。

ユネスコが選んだ世界の偉人の一人で、<ムラサキ>という名を世界的に有名にした紫式部。

京都市北区紫野西御所田町にある島津製作所紫野工場の一角では、小野妹子の子孫で、小野道風・小野小町の祖父とされる小野篁と紫式部が並んで眠っています。

ちなみに小野篁は、毎夜地獄に出向き、閻魔大王の補佐をしていたことでも有名です。京都六道珍皇寺の閻魔堂には、篁作と言われる閻魔大王と篁の木像が並んで安置されています。